リメンバー・ミーを見てきた
こんにちは、心の余裕が欲しい女、ユウカです。
所属しているサークルの新歓活動と人が圧倒的に足りないバイトでスケジュール帳が真っ黒です……。切実に余裕が欲しい。
そんな中、息抜きとして映画「リメンバー・ミー」を見てまいりましたので、その感想をば。
※若干のネタバレを含みます。
結論から言いますと、かなり面白かったです。
〜あらすじ〜
音楽禁止の一族に生まれたミゲルは、史上最高と謳われたミュージシャン、エルネスト・デ・ラ・クルスに憧れ、音楽家を夢見ていた。
ひょんなことから、顔が破り捨てられた先祖の写真を広げると、そこに写っていたのはエルネスト・デ・ラ・クルスのギターだった!
色々あって死者の国に迷い込んでしまったミゲル。死者の国から生者の国に戻るためには家族からの許しをもらわなくてはならない。しかし家族からは許しをもらう条件として「音楽を諦めること」を突きつけられる。
音楽を諦められないミゲルは、エルネスト・デ・ラ・クルスから許しを貰うために偶然出会ったガイコツのヘクターと共に彼の元へ向かう……
〜感想〜
あらすじから分かるようにまあいつも通りのディズニー映画です。
アナ雪の続編が同時上映だったため、音楽を推してる映画の割に音楽感があまり感じられなかったのが不運。
死者の国の色使いと、マリーゴールドのオレンジが個人的にめちゃくちゃ好きです。
この映画の主題は「人の死とは何か」という問題なんですが、ディズニー的答えとしては「生きてる人全てに忘れ去られた時」で、この考えに基づくと、後世に名を残した人・子孫の代まで語り継がれた人(例えばエルネスト・デ・ラ・クルスやミゲルの家族)は永遠に生きていると言えます。
この答え、前半はいいんですが、後半部分に非常に疑問が残る。
後世の人々は『史上最高のミュージシャン』としてのエルネスト・デ・ラ・クルスは知っていても、その時代を生きた1人の人間としてのエルネスト・デ・ラ・クルスを知ることはない。
これを私たちに置き換えるなら、紫式部が源氏物語の作者という知識はあっても、彼女が実際にどんな生活を送っていたかはわからない。何たって私たちは彼女の本名すらわからないので。
それって本当に生きていると言えるんでしょうか?
今世を生きる人間にとっては、彼らは生きていた実感のない文書や写真、ディスクの中の登場人物です。むしろ生い立ちや思考回路、行き着く道が描かれている小説の中の登場人物の方がよっぽど「人間」かもしれない。
親や親戚の子供の頃も想像できないのだから話したことの無い他人の人生なんて尚更です。
『有名人』としての人は、本当に人々の中に生きているのでしょうか、それともただの記号、あるいは偶像に過ぎないのでしょうか?
それとも、間をとって覚えられている側面だけが生きていると言えるのか。もしそうだとしたら、少々同情します。
話は飛びますが、作品の舞台であるメキシコでは「死者の日」にはご先祖が家まで迷うことの無いように家までの道をマリーゴールドの花びらで作る、という伝統があります。作中でも説明されてますね。それを踏まえてエンドロールを見ると、よい(語彙力の喪失)
なんでかっていうと、エンドロール背景が石畳の道の上にオレンジの花びらで作られた道の映像になっていて、花びらの道が途中で交わったり、2つに別れたりしていたんです。
たくさんの家族が、家族の帰りを待っていて、家族の愛と、それと伝統とがそこにあるなっていうそんな世界が伝わる良いエンドロールでした。
果たしてこれを感想といっていいのか……
最後に、これは完全な余談ですが、映画中1番テンションの上がった場面を聞いてください。
映画『ファンタスティックビーストと黒い魔法使いの誕生』11/23(金・祝)公開
ファンタビをどうぞよろしくお願い致します。